ミュンヘンの悲劇とは?「マンU」読みはしてはダメ!?ユナイテッドファンなら絶対に知っておくべき歴史
#FlowerOfManchester
2月6日はマンチェスターユナイテッドに関係する全ての人にとって
永遠に忘れられない日です。
今回は、「マンチェスターユナイテッド」のファンであるならば
絶対に知っておくべき
「ミュンヘンの悲劇」、「マンU呼び」
について解説していきます。
ミュンヘンの悲劇とマンチェスターユナイテッド
ミュンヘンの悲劇とは
ミュンヘンの悲劇とは、1958年2月6日に西ドイツ、リーム空港(現:ミュンヘン空港とは異なる)で起こった航空事故です。
その事故では、今では世界を代表するビッククラブである
マンチェスターユナイテッドのチャーター機の乗員乗客44名のうち、23名が死亡しました。
そのうち、選手は8人、クラブスタッフ3人が死亡した事故でした。
ロジャー・バーン(24歳)
エディー・コールマン(21歳)
マーク・ジョーンズ(24歳)
デイビット・ペッグ(22歳)
トミー・テイラー(26歳)
ジェフ・ベント(25歳)
リアム・ウェラン(22歳)
ダンカン・エドワーズ(21歳)
当時の監督であった、「マット・バスビー」は奇跡の生還を遂げます
ミュンヘンの悲劇が起こるまでの背景
皆さんご存知のチャンピオンズリーグ(始まりはチャンピオンズカップ)は1955年に開始されました。
そのチャンピオンズカップにイングランド代表として初めて参加したのが、
当時黄金時代とされていたマンチェスターユナイテッドです。
しかし、この参戦をイングランドサッカー協会(現:FA)はよく思っていませんでした。
そのため、国内リーグの日程を調整してもらえず、強行日程を強いられていました。
今と変わらないですよね。。
準々決勝に進出したマンチェスターユナイテッドは、ユーゴスラビアの強豪
「レッドスター・ベオグラード」というチームと対戦します。
1stレグはホームで2-1と勝利し、2ndレグとして2月5日(水曜日)に敵地「ベオグラード」に乗り込み、
3-3の引き分けで、2戦合計で準決勝進出を決めました。
当時の航空事情は、現在のように簡単に移動できるわけではなく、
共産国の国で試合を水曜日にして、国内で土曜日にまた試合をするのは
とんでもない過密日程でした。
また、その土曜日の試合は上位対決を控えていて、帰国を焦っていたようです。
さらに、この時期はヨーロッパ全土に寒波を襲っていたようです。
事故とその原因
試合を終え、帰国へ向かいます。
英国欧州航空のチャーター機は選手がパスポートを忘れ1時間遅れて出発します。
そのチャーター機は、そのままイギリスへ帰国できる航続能力がなく
給油のために「ミュンヘン」に立ち寄ります。
給油後、2度離陸に試みますが、速度が上がらず中止となります。
そして、午後3時4分、3度目の離陸を試みます。
しかし、再び必要速度に達せず、オーバーラーンをし、フェンスを突き破り300m離れた空き家に突っ込み炎上しました。
当時の調査員会の実験などにより、
滑走路上のシャーベット状になった氷雪が原因とされました。
この事故で得られた経験は、これ以降世界での常識となりました。
ユナイテッドのその後
当時の主力選手を一気に8人失ったマンチェスターユナイテッドは大きな打撃を受けました。
準決勝まで進んだチャンピオンズカップも、控え選手を中心に戦いましたが敗退します。
強豪であったマンチェスターユナイテッドは、地獄に落ちかけます。
しかし、英雄はいました。
事故に巻き込まれたものの、奇跡の生還を遂げた監督「マット・バスビー」と「ボビー・チャールトン」が中心となってクラブを再建します。
ボビーチャールトンは、2015年にルーニーに抜かれるまでイングランド代表得点数トップでした。
若手選手の成長も相まって、
マンチェスターユナイテッドは、フットボールリーグを制覇します。
ミュンヘンの悲劇から10年後の1968年には
ボビーチャールトンらの活躍により、悲願のヨーロッパチャンピオンとなります。
これはイングランドのクラブでは初めてのことでした。
ホームの「オールドトラッフォード」には事故の犠牲者を追悼する記念碑が掲げられています。
ちなみに、この悲劇を元にした映画もあります。
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「マンU」呼びがダメな理由
現在、多くのマスコミで呼ばれている「マンU」
ですが、イングランドでは侮辱に当たる場合があります。
先ほど紹介したように、マンチェスターユナイテッドはFAの意見に反しながらチャンピオンズカップに出場しました。
その帰り道に、ミュンヘンの悲劇があり、多くの選手を失いました。
その事故のあったユナイテッドのことを
「Uターンして戻ってくる男たち」「manure(肥料)」という意味をかけて読んでいます。
意味は
「戻ってくるはずだったのに、でしゃばったから、肥料になったんだ」
という意味のチャントをつくり揶揄した人たちがおり、彼らは「マンU」と呼びました。
ただし!、これはあまりソースがないんです。
そのため、本当にこれが理由かは分かりません。
しかし、このような情報を知っているからには、
ユナイテッドファンとして「マンU呼び」は避けた方が良さそうです。
現地では
「ユナイテッド」「マンユナイテッド」
が一般的です。
分からず、使っている方がいれば優しく教えてあげましょう。
まとめ
この悲劇は、ユナイテッドの歴史において決して忘れ去られることはないが、
事故で怪我を負いながら、その後チームを立て直し、1968年にユナイテッドを欧州王者に導いたサー・マット・バスビー監督の
勇気も永遠に人々の心に刻み込まれています。
私たちがこうやって、現在もマンチェスターユナイテッドを応援できている影には
このような背景があったのです。
#FlowerOfManchester
犠牲者の方々には哀悼の意を表します。